自分と向き合うこと
30年間、これまで生きてきて、変わらない部分もあれば、変わった部分もある。
一つわかったことは、若い頃のネガティブな記憶は深く根付くということ。
性格や思考の根底にある「傾向」。
若いころの記憶や印象は、無意識に少しずつ蓄積されて、自身の思考や行動の根底に根付き、影響を与える。
「失望」というワード
最近、お風呂の中でぼんやりしていたときに、ふと自分の「傾向」について、原因というか根源みたいなものに少し気づけた気がする。
自分の場合、「失望」。
少し前に書いたソフトテニス部にいたころのこと。
姉の功績もあり、自分にかかる期待も多少なりともあると感じていた中学1年生。
とはいえ、自分にはずば抜けた運動神経があるわけでもなく、どちらかというとインドアに絵を書いたり、何か作ってるほうが好きなタイプだったので、なかなか伸びず、ただ身長がそこそこにあるだけのプレイヤーだった。
レギュラーの先輩たちも、そこそこに身長があって、そこそこに動ける自分にいろいろとアドバイスをくれたり、気にかけてくれていた。
でも、1年ちょっと経った頃、戦績もよくなく、伸びない自分にたいして放った一言。
「藤田には期待してたのに。がっかり。」
その一言は大きなショックでした。
こういうとき、奮起するひともいるんだろうけど、自分の場合、そうじゃなかった。
また、他の先輩には、「お前、下手なのになんでテニス続けてんの?目障り。」と言われたこともあります。
自分なりに頑張って練習して、期待に応えようとしていたトコロに先輩たちからの言葉は大きなショックでした。
それからなのかもしれません。
失望されるくらいなら、期待されないように生きようと。
どこか自分のなかに思考が根付いてしまっているのではないかと、入浴中に思ったわけです。
誰よりも期待してあげるべきは自分自身
誰にも期待されないように、期待に応えようとしたって、結局失望される。
それが自分の「頑張れない」原因なんじゃないかと、ふと気づきました。
30年たって、やっと。
これが自分と向き合うことなのかなぁと思いました。
誰にも期待されないように、自分だけで、自分の生きたいように生きる。
他人が自分の人生にとやかく言うんじゃない!という、どこか自暴自棄にも似た考えをもってしまっていた。
でも、実際はそうじゃない。
生きていくには、沢山の人と関わらないといけない。
そこには、人間関係があり、期待や失望なんて、山のようにある。
誰かに期待されることがあるのは、とても幸せで、ラッキーなこと。
でもそのまえに、自分自身が自分に期待してあげないと、何もできない。
自分ならできる、そう信じること、期待してあげることこそ、自分が輝くきっかけになるんじゃないかと思うわけです。
それが、自分が大きく成長するきっかけになるはずだと思うんです。
自分自身が失望してたら、そりゃだれも期待しない、人生もつまらなくなる。
だからまずは、自分自身が期待してあげよう、そこから何かが変わるんじゃないか。
30年たっても、まだまだ自分探求は終わらなさそうです。
自分と向き合うって大事だな。